第百十三回高等学校卒業証書授与式を挙行するにあたり、多数のご来賓、保護者の皆様のご臨席をいただきましたことは 誠にありがたかく、心より御礼申しあげます。吹奏楽部とコーラス部の荘厳な「ハレルヤ」の曲が余韻を残しています。
6年または3年、生徒たちはこの学び舎で様々なことに興味を持ち、それに情熱を注ぎながら、過ごしてまいりました。成長するとともに、学ばなければならない多くのことや、新たな人間関係に悩んだこともあったと思います。それらをなんとか乗り越えてこられたのは、彼女たちを守り育ててこられた保護者のみなさまをはじめ多くの方々のご理解とご苦労があったからこそと感謝の気持ちをお伝えしたいと思います。
私達の卒業の季節は、梅の花の季節でもあります。生徒のみなさんの胸に梅の花の校章が輝いています。その清楚な花の形と、馥郁とした香りは、気品ある女性を思わせるものです。
以前の校長、井上源兵衛先生は同志社大学の創始者 新島 襄先生の漢詩を卒業式で読みあげられました。
庭上の一寒梅
笑って風雪を侵して開く
争わず また力めず
自ずから百花の魁を占む
意味は大体お分かりとおもいます。
私は今みなさんの姿をこの風景の中の梅の花に重ねて見ています。
世の中には目を見張るほどの色彩豊かなうつくしい花が存在する中、厳しい寒さに耐え真っ先に、まだ冬の風景の中に、ほのかに「ぽっ」と咲く梅の花に心を奪われます。
さらに、私は新島襄先生の教訓のことばに惹かれました。
「かの梅花の美、かの桜花の美、美は美なりといえども、これ唯だ一時の美に過ぎない。人はかの花の如く、一時の美を装うに止まってはならぬ。いつまでも色褪せず、散らざる心の美をこそ、求むべきである。」
いつまでも変わらない、この美しさが、あなたたちのこれからの人生に、いつまでも残るように祈らずにはいられません。
さて、土佐女子の教育方針は長い年代を経てもその根幹を変えることなく、先ず女子としての教養を身につけ、人間として自立できる女性を育てることを目標としております。女子教育を確立してきた良き習慣を継承していくことを私学独自の自由なやりかたで継続してきました。もちろん人間性を高めるのみならず幼き者や弱いものに愛情を注ぐのが女性として本来の姿であり、役目であります。
少し前の入学式では、医学部に進んだ本校の卒業生が、どんな思いで勉学に励んだかみなさんにお伝えしました。
「確かに勉強もしました。しかし、人の道から外れない生き方をすることの大切さをこの6年間を通じて私は最も学びました。中学校の教室にある「真剣な授業」「端正な服装」「挨拶の励行」「清掃の徹底」は本当に大切なことを示していただいたと感じています。土佐女子が私の人間としての根幹を作ったといっても過言ではありません。」と言い切っていました。
みなさんは寺田虎彦のこの言葉も覚えているでしょう。「ある桜の開花を決定する因子は、遠くさかのぼれば長い冬の間から初春にかけて、一見活動の中止しているように見える植物の内部に行われていた変化の積算したものが発現するものと考えられる。眠っているような植物の細胞の内部に、秘かにしかし確実に進行している春の準備を考えるとなんだか恐ろしいような気がする。」と。
自然界にあるこの不思議な力は、人間も植物のように、なにもしないでいれば必ず花が咲くという意味ではなく、努力を重ねて、ひそかにしかも何かが確実に進行していて準備されているとしたら、あなたたちはそれを無駄にしないよう若い時を過ごせば、必ず時が来ればその人の最高の結果が得られるという意味だと私は解釈しています。
みなさんが心豊かにこれからの人生を過ごされますよう教職員一同心から願っています。 ご卒業おめでとうございます。
平成28年1月30日
土佐女子中学高等学校校長 荒川 操